画像大津諏訪神社のロゴ
大津諏訪神社の鳥居

大津諏訪神社について

ー 民の社[たみのやしろ]として ー

「大津の鎮守さま」として親しまれてきた諏訪神社は、天長元(西暦 824)年に信濃国一の宮である諏訪大社より当地に勧請(かんじょう)されてから、令和6(2024)年には御鎮座千二百年の節目の佳年を迎えます。
永い歴史のなかで、朝廷や幕府の崇敬、歴史的偉人の参拝などは見られませんが、それは神様に「おちから(パワー)」がないのではなく、一貫して里の守り神として、氏子中の心の拠所(よりどころ)として常に民の傍らにいらっしゃったとも言えましょう。
神社の管理と運営は、平素より総代世話人会が自主的に行うことを心掛け、神事の手伝いや御神田・御作田(みさくだ)の手入れ、境内 の維持管理や営繕関係の作業も業者任せにせず、進んで行って戴いております。

例年の夏祭りは多くの氏子町内会が参加し賑やかな祭礼となり、特に平成26年にはプレ千二百年 御柱祭が斎行され、実行委員会が中心 となり企画と運営を担い、氏子の手により盛大に里曳きが行われ、諏訪地方から200名ほどの応援を受け、境内に立派な御柱が建ちました。 神社と総代・世話人・神輿会と氏子中、この三位一体の団結が、大津諏訪神社の「民の社」としての矜持(きょうじ)でもあります。さぁ、どうぞ鳥居をくぐり、お参りください。

大津諏訪神社 宮司 岩城純隆

由 緒・ご祭神・境内社

古来より「大津」はその名の示す通り、幕府の置かれた鎌倉や江戸に出入りする物資を中継する湊(みなと)として東京湾を臨む舟の渡し場の役割を担ってきたと思われます。
この地は古代にあっては房総への渡津(としん)、中世には半島を跋扈(ばっこ)した三浦一族の衣笠の荘の配下、江戸時代は海の関所・浦賀への往還や海防のための陣屋が置かれ、明治時代以降は軍部横須賀の演習場や学校、関係施設が立ち並び、その一翼を担っていました。いつの時代においても脇役的な役割ではありましたが、「つなぎ役」として重要な位置を占めていました。その時代の趨勢(すうせい)を見守ってきた祖神様(おやがみさま)こそ、「大津のおすわさま」と親しみを込めて呼ばれている当神社です。

画像鎮守諏訪大明神總縁起

鎮守諏訪大明神總縁起(大津諏訪神社蔵)

天長元(824)年、信濃国の諏訪大社の御分霊を勧請したのがその嚆矢(こうし)とされています。関東大震災では神社の社殿が倒壊、周辺集落も甚大な被害を被りましたが、氏子中の篤い信仰心のもと、各集落の氏神様も合祀して、被災より わずか一年半後に大津総鎮守として再興を果たしています。
現在の社殿は、本殿は旧矢之津神社、拝殿は旧白山神社のもので、損害の少なかった両神社を氏子の手によって移築・再興したもです。氏子中九か所十神社の御祭神も合祀され、大津地区の団結の象徴となっています。
由緒は不詳ながら、令和6年には御鎮座千二百年の節目を控えています。平成26年には十年後の御鎮座千二百年を奉祝するべく、プレ千二百年御柱祭が盛大に執り行われました。

画像大正4年大津諏訪神社落成記念

大津諏訪神社落成記念(大正4年4月26日)

建御名方命(たけみなかたのみこと)

関東大震災以降に合祀

天照大神(あまてらすおおみかみ)
白山比売命(しらやまひめのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
菅原道真(すがわらみちざね)
三浦義村(みうらよしむら)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

稲荷社

稲荷社

琴平社

琴平社